C.W.ニコルの想い 日本人としてすべきこと

アファンの森について

アファンの森財団創設によせて

大切に育んできた森が財団法人となり、私はようやく本来の自分に戻れたような気がしています。

何年も前、この日本でブナの森を歩いていたとき、私はその荘厳な雰囲気に圧倒され、得も言われぬ感動に包まれました。その場に立ち尽くしたまま、気がつけば溢れ出る涙が頬をつたっていたのです。これは「エデンの園」だろうか、遠い、遠い昔、イギリス諸島のケルト人もこの感動を味わったのだろうか、と。

故郷ウェールズでの森の再生運動に勇気づけられて

1980年代、私は日本の行く末に心底、絶望しかけていました。樹齢を重ねた森の木々が次々に切り倒され、川はコンクリートのせいで変わり果てた姿となり、湿地はゴミで埋め立てられ——それを尻目に人々は、金儲けに目の色を変えていたからです。

私が何年ぶりかで生まれ故郷の英国ウェールズを訪ねたのは、そうした日本の状況に対して絶望のどん底にある時期でした。ウェールズで私は、森の再生にかける人々の努力と情熱を目の当たりにしました。そのとき、もう文句ばかり言うのはやめよう、私も彼らにならって心から愛する日本のために力を尽くそう、と心に決めたのです。「アファンの森」の名も、私を奮い立たせてくれたウェールズの「アファン・アルゴード森林公園」にちなんで名づけたものです。

廃坑当時の英国ウェールズのアファン森林公園

人々の努力によって、再生された現在の森林公園

私は、1986年から長野県黒姫の土地を買い始めました。隣接する土地を少しずつ、少しずつ買い足していったのです。大半は、いったん農地として開墾された後、放置されていた土地でした。なかには、きちんと手入れをしないせいで、ひょろひょろとした木ばかりの針葉樹の植林もありました。この仕事に着手したとき、森は定員オーバーのうえ、びっしりはびこった下草や伸び放題のツル植物のせいで窒息寸前だったのです。

森をよみがえらせるためには長い時間と多くの手間ひまが必要だ

本来、人もまた自然の一部。畏敬の念をもって自然に接し、その恵みに感謝する、それが原点です。森を守り育むために、私たちは文字どおり「手」をかけました。この仕事は、手間ひまを惜しんでいてはできません。

まずは、荒れ放題だった森の間伐を行い、一本一本に養分が行き渡り、充分な陽の光が当たるようにしました。丈夫で、まっすぐな木が育つようにするためです。小鳥たちが好んで巣を作る茂みだけを残して、地面を覆う下草をはらいます。風通しをよくし、地面まで日光が届くようにすれば、そこにはさまざまな花や若木が育ちます。木々に絡みついて枯らしてしまうツル植物は丹念に切り払いました。ただし、ヤマブドウやアケビ、サルナシなど、クマや鳥たちの好きな実がなるものは残すようにしました。

さらに、池を掘り、水路をきれいにし、カエルやイモリ、水生昆虫、それにサギやカモたちのための環境も整えました。

大きな洞(うろ)に巣を作る鳥たちのために、その代わりとなる巣箱を設置し、シジュウカラやフクロウが利用しているかどうかも調べています。アファンの森はまだ木々が若く、大きな洞をもつような木はほとんどないのです。

豊かな森からは継続的な恵みを得ることも

今後も森の再生のために、さらに知識を深めて、生物多様性を高め、木々を質量ともに向上させていくつもりです。木々は成長するにつれ、より多くのスペースを必要とするようになります。良質の木を育てるには、よく吟味して、選択伐採を行うことが大切なのです。伐りだした木材は、高級家具の材料として活かすこともできます。

アファンの森のおかげで、今では薪や木炭に事欠くことはありません。間伐材に菌を植えつけ、栄養たっぷりで、安心して食べられる、おいしいキノコも育てています。こうして利用した木は、最後には分解されて腐植土となるでしょう。いい土を蓄えた森は山菜の種類も豊富です。

アファンから始まった森の再生が役立つことを願って

1995年以降、アファンの森は、生物学のフィールドワークと「エコツーリズム」(自然を破壊せずに観光収入が得られるような観光のあり方)を学ぶ学生のための訓練場にもなっています。アファンの森に心に傷を負った子どもたち約2000人招待し続けています。また、欧米からの見学者も数多く迎えてきました。そして、この森とウェールズのアファン・アルゴード森林公園は、世界初の「姉妹森」となりました。日本のみならず世界中の森が再生されることを願っての一歩です。

これまでも、私たちはクマやヤマネ、鳥、植物、昆虫、水質・地質の調査を奨励、支援してきました。今後も引き続き、この森を教育、調査研究、そして人々の心を癒す場として活かしていきたいと考えています。願わくば、私たちと同じように森を育てたいと志す方々に参考にしていただければ、と思います。

アファンの森のタネが、東日本大震災の以降、復興支援として宮城県東松島市に運ばれ、復興の森や公立発の森の小学校ができるなど、少しずつ育っているのもこの上ない喜びです。

何より、アファンの森は、この私に「一体感」を与えてくれました。私が世を去った後もこの森は永く生きつづける、そう思うことで心がどれほど穏やかになることか。外国人であった私は、ようやく名実ともにこの国の一員となれたと感じています。

 

一般財団法人C.W.ニコル・アファンの森財団
理事長C.W.ニコル  2002年5月

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