【森からの手紙】小さなサケが育む大きな夢

C.W.ニコル 森からの手紙

 新潟市で日本海に注ぐ信濃川は全長367km、日本で最長の川である。サケは一生を終えるために広大な海からふるさとの信濃川に今でも産卵のために回帰してくるものの、数十年前には信濃川の本流のみならず、数多くの支流にも内陸深くまで産卵のためにやってきたようだ。

 長野県北部の丘陵地にある私の書斎の窓からほんの数メートルのところを流れる鳥居川もそうした支流のひとつであった。標高2053mの黒姫山やそれよりわずか低い戸隠山からの水を集めた鳥居川は、流れが速く、ふだんは水がとても澄んでおり、水温も低い。これらの山岳からの水は鳥居川を通って、千曲川に合流し、やがて信濃川となる。

 1982年以降、鳥居川は私の生活の一部でもある。私の書斎の机から右肩越しに鳥居川を眺めることができる。窓を閉めても川の音が聞こえてくる。暖かいときには、寝室の窓を開けて床につく。すると、山からの涼やかな水の流れとそれがもたらすそよ風のため、まもなく夢の世界へと誘われる。

 その鳥居川が何年か前に暴れ、洪水を起こしてしまった。行政当局は川辺の樹木をすべて切り始め、川を壊してコンクリートで固めてしまうというお決まりの工事をやろうとしていた。それに対して私は、文句を言い、専門家を招き、実際、政府に建設計画を変えさせることに成功した。

 堤防をコンクリートで固める代わりに、大きな石を使うことになった。その結果、イワナやカジカなど小さな魚たちが戻ってきた。そのおかげで、ここでは川は美しく健康的である。しかし、下流ではさまざまな問題が今も続いている。ダム、夏になると水温が高くなり過ぎる浅瀬、汚染、あちこちにある不毛なコンクリート。これでは、サケも鳥居川まで上って来られまい。

 とは言え、川の専門家で元教授の大熊孝博士のリーダーシップのもと、新潟水辺の会の活動のおかげで、事態は少しずつ改善してきているようだ。今年の3月24日、新潟水辺の会は、長野県木島平にある持田養魚場から20,000尾のサケの稚魚を入手し、私の書斎の窓のすぐ下にある鳥居川に稚魚を放流した。

稚魚放流の様子

サケの稚魚 学名でオンコリンクス・ケタという名のこのサケは、一般にサケまたはシロザケと呼ばれている。このサケは、かつては日本を含む北太平洋地域では普通の魚であった。孵化後数ヶ月を川で暮らし、その後2~5年ほど海で暮らす。そこで体長50~60cm、体重2~4kgに達してから、生まれた場所に辿りつく。

 日本は北九州から北海道まで、サケの産卵する川が多かったということは記憶に新しい。九州の川は夏にはたいてい水温が高すぎ、河岸を通して滲み出ている山からの清澄で、冷たく、ミネラルに富んだ湧き水により太陽の熱が相殺されない限り、若いサケ科魚類(イワナやマスなど)が生き残ることは難しい。さらに自然の河岸に生えるヤナギやほかの草木は樹陰を作り、本流が冷えるまで小魚たちが生き残る機会を提供していた。コンクリートの護岸がその機会を奪ってしまったのは言うまでもない。

 壊れたレコード盤のように、同じことを繰り返して言いたくはない。でも、かつて豊かだった日本の川の98%がダムで堰き止められたか、あるいはコンクリートの廃墟と化してしまっている。とくに1964年の東京オリンピック以降、政治家、高級官僚、建設業界の罪深き同盟構造がダム化とコンクリート化を押し進めてきた。

 かつて日本には野生の在来のサケが豊富に棲息していたということが、おそらく今でも日本人の食卓でサケ料理が人気な理由かもしれない。現在では、その多くが輸入されたり、養殖されたものであるにもかかわらずだ。生のサケは寿司屋の主要メニューであるが、日本人は元来サケを生で食べなかったというのは興味深い。魚肉に寄生虫の線虫が潜んでいることを恐れてのことであった。
一方、アイヌの人たちは、サケを生で食べていた。ただし、一度凍らして、寄生虫を殺してからのことである。カナダやグリーンランドのイヌイットの人たちも、サケと同じくらいの大きさになるホッキョクイワナで同じことをやっている。私が18歳のときだった。イヌイットのおばさんに「はやく食べてしまえ、溶けてしまう前に」と言われて叱られたことを思い出す。

 今日、最新の冷凍技術により、遠方のノルウェーやタスマニアのようなところから冷凍のサケが空輸されており、養殖ものの生のサケを食べてもかなり安全のようだ。たまには、アナサキスという寄生虫により胃に激痛を覚えて病院に駆け込むはめになることもある。この寄生虫は、新鮮なイカやサバでも見つかることがある。何も寿司を食べることをやめろと言っているわけではない。実のところ、寿司は私の大好物のひとつである。

C.W.ニコル

翻訳・金子与止男(岩手県立大学教授)

 

この記事は2012年5月6日に The Japan Times に掲載したものを翻訳したものです。

原文はこちらからご覧いただけます。

 




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