私たちの森が馬の力を借りる準備が整う

C.W.ニコル 森からの手紙

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馬と戯れる: 在日エチオピア大使とCWニコルアファンの森財団にて茶々丸を出迎える著者

ここ3年程、 CWニコル アファンの森財団では財団が所有する長野県北部森の間伐材の運搬に岩手県の遠野と盛岡から馬と関係者に来てもらってきた。また最近は近隣の国有林の管理も委託されているのでエリアが広がったばかりだ。

この間伐によって残った樹木に多くの空間と太陽光が降り注ぎ、その恩恵として生物の多様化が進んでいる。馬を活用することは大型の重機に比べて、大地や樹木を傷つけないことも利点の一つだ。
私にとって馬と協働するということは、ウェールズに暮らしていた頃の幼少期と、エチオピアのシミエン国立公園での初代公園長時代の記憶を鮮明に蘇らせてくれる。
私がエチオピアに暮らしていた1960年代後半、シミエンには自動車用の道路はまだ整備されておらず、すべての物資の搬送は馬、ラバ、ロバ、または人が担っていた。シミエンの馬の多くはアビシニアンと言われる世界有数の古来種だった。小型で頑丈、高い標高の移動に優れ、日中の高温と氷点下近くまで下がる夜の気温差にも耐えられた。

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当時の私はそれまで周辺に存在すらしなかった公園を設立する為、20頭の馬とラバを保有しており、より大きな仕事には追加で雇っていた。2頭は私専属として自分で購入した。この2頭の馬は私の相棒で、キャンプの番犬で密猟パトロールの右腕でもあったジャーマンシェパードのモーガスと同等に特別な存在だったと言えよう。

ウェールズに暮らしていた幼少時代、馬はまだまだ街の労働力として現役で牛乳、石炭、ビールを積んだ貨車を運んでいた。また郊外でも馬はあらゆる役割を担い、様々な現場や牧場で欠かすことの出来ないものだった。私は日常的に山間の牧場から牛乳を運び下ろす2輪の馬車を使って、ペグ叔母さんのコテージに遊びに行っていた。

馬車に乗る時はいつも牛乳を運び下ろす寡黙なグリフィスが隣に座っていて、私は侵略してくるローマ人と立ち向かうケルトの戦士になったつもりで高揚していた。だが現実には、この旅路で唯一過酷だったのは前を走る馬が尻尾を上げておならをする姿に笑いを堪えることくらいだった。
「草ばかり食べているとお前も同じ様になるんだぞ。」
とグリフィスに言われたことを今も懐かしく覚えている。

1962年から65年に最初に日本に訪れた時、田舎の方ではまだ馬は普通に林業や農業で活躍していた。しかし長野に居を構えた1980年頃には残っている馬は乗馬クラブで飼育されている位になっていた。

最近スタッフや友人と話合いを重ね、私は森と、その周辺の文化や景色の中に馬を復活させることを決意した。

もし大きな重たい木を山から運搬する事態が発生したら、何時でも1000kgクラスのペルシェロン種の馬を岩手から呼び寄せたら良い。でも今の森で日常的に必要な馬はより小型で30cm程の直径の間伐材を運べ、また貨車やソリを引っ張れる馬だ。この馬を活用してキャンプ道具を詰め込んで山の奥に一緒に入って行っても面白い。

加えて、私たちの森は多くのお客を迎える場所で、また子供が多いことを考えると、人間と明確な主従関係を築くのではなく多くの人に囲まれることに警戒しない馬が望ましい。この分野の先駆者の八丸健(ハチマルケン)氏と妻、由紀子(ユキコ)氏は岩手で20頭の馬を飼育していて、林業、酪農、運搬、ホースセラピーや乗馬といった分野で活躍の場を作っている。

彼らを通じて6歳の去勢馬を2頭購入することにした。いずれも素晴らしい馬で(2頭の正式名は雪丸と茶々丸)いずれも重さが500kg程、とちょうど我々の目的に即した馬たちだ。

雪丸は北海道出身、日本にある8つの古来種の中で唯一絶滅危惧されていない道産子だ。一説によるとモンゴルと中央アジアのミックス種として15世紀に朝鮮半島の漁師が運んだとされている。また別の説は江戸末期(1603-1868)に東北から運ばれてきて棄てられたのを起源とするのもある。諸説あろうがこの道産子は、大きな頭部が特徴で、内モンゴルでドキュメンタリーを撮影した際に乗っていた馬を思い出させる。丈夫で寒冷地と雪に慣れていて比較的涼しい気候にも適応しているので、我々にはピッタリの馬と言える。

もう一頭の茶々丸は4分の3が道産子で、4分の1がクォーターホースという交配だ。クォーターホースはアメリカの有名な交配種で17世紀のバージニアでイングランドとアメリカ先住民の馬を交配して開発された。先住民の馬というのは16世紀にスペインの侵略者たちが連れてきた馬で主な構成としてはイベリアン、バルブ、アラブ種だったと言われている。クォーターホースの名前の由来は4分の1(クォーター)マイル競争での驚異的なスピードから名付けられた。この頑丈で小さな馬は平日働き。週末には競争に出場できる程の体力の持ち主だ。

北米の開発に向けて人が西へと移動する中、クォーターホースは屈強な部族の馬と交配を繰り返し、カウボーイに最も好まれる品種と成って行く。乏しい飼料でも一定期間は生き残れ、1日中乗ることが出来、牛の扱いは慎重であれば恐怖は感じない。また多くのターン、ツイスト、疾走が可能でカウボーイにとって時として数千という単位にもなる家畜の動きの統率を可能にした。

先月、岩手の友人八丸健氏と岩間敬氏が再訪してくれた。今回は間伐材のログを運び出すことが目的だ。今回は不屈のペルシェロン種のサムライキングも来てくれ重いログを担当してくれた。雪丸と茶々丸も同行して初めて森の中へ入った。いずれの若馬も3日でこれから建設するホースロッジ向けに作る家具分のログを搬出してくれた。

家具はこの3年、馬が搬出した間伐材を活用した家具を製作し、スポンサーとしてもご支援頂いている岡村製作所で作ってもらうことになっている。

幸運にもこれらの出来事と同じタイミングで在日エチオピア大使のマルコス・リケ大使がシミエン山国立公園の将来について話しに、アファンの森をご来訪された。

リケ大使は多くのエチオピア人同様に、馬と共に育っていたことから、滞在中は人と馬の関係性や人類の歴史と文化の発展に於ける馬の存在について大いに盛り上がることが出来た。

彼らの訪問の後、11月24日に財団の新たなホースロッジの地鎮祭が執り行われた。2016年の中盤には建物が完成し、茶々丸と雪丸を迎え入れ、森で活躍し出す予定だ。

これは財団にとって追い続けている夢の新たな章の幕開けを意味し、読者の皆様にも関わってもらい、共に喜びを共有出来たらと願っている。

C.W.ニコル

The Japan Times  OLD NIC’S NOTEBOOK 2015年12月5日より

 


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