守りたい、希望与えた場所
2011年の東日本大震災の後、C.W.ニコル・アファンの森財団は宮城県東松島市から小学校移設に向けての支援を求められた。その中心となるのは、新たな小学校の一部となる森づくりだ。長野における当財団の森林再生活動をご覧になり、「ぜひ力を貸してほしい」という。「光と風にあふれる森をつくり、震災で心に深い傷を負った子どもたちにもう一度、自然の持つ癒やしの力に触れてほしい」と。
津波の推定最高到達点を越える高台に、学校をはじめ、駅や病院、住宅などのインフラをそっくり移設する計画だ。私たちがまず取り組んだのは、やせた木々を間引き、生い茂る下草を刈り取ることだった。森の中まで光が入れば花も咲く。遊ぶスペースもできる。作業には地元の子どもたちも呼び込んだ。森での遊びを学びの機会に変えたのだ。暖をとるため、煮炊きをするための安全なたき火の仕方、ドラム缶風呂の沸かし方。花や木、鳥や動物の名前も覚えた。どれも楽しかったが、子どもたちにはよりどころとなる「基地」が必要だと、私たちは感じていた。
東松島に最高のツリーハウスをつくるため、日本の第一人者、小林崇さんにその設計と建築について助言を仰いだ。彼は協力を約束してくれ、専門家チームを引き連れ、地元の材料だけで4階建てのすばらしいツリーハウスをつくり上げた。森の急斜面に沿って、そこに自生する木を傷つけることなく包み込むように建つツリーハウス――私が「ホビットの家」と呼ぶ1階部分の窓ガラスは震災で破壊された学校のものだ。
斜面を登っていくような不思議な形から、私たちは「ツリードラゴン」と名づけた。オープンの日の子どもたちの驚きと喜びに満ちた表情を皆さんにもお見せしたかった!
あれから5年近い月日が流れ、子どもたちは新設された「宮野森小学校」へ通っている。完成までの間、この「ツリードラゴン」を基地とし、よりどころとして、皆、森で遊び、学び、多くのことを身につけた。大人たちもここを利用し、結婚式まで行われた。
だが今、私たちは決断を迫られている。ツリードラゴンは森から切り出した木でできている。十分に乾燥させた高価な材木を使っているわけではない。いずれ手入れが必要となることはわかっていた。ツリーハウスを閉鎖し、原木が朽ちるにまかせて土に返すか、それとも資金を集めて維持していくか。ここには多くの思い出がある。皆に夢と希望を与えてきたこの場所を守り、未来の子どもたちにも特別な場所を残してやれないか。私はぜひともこの夢を守りたいと思う。だが、それには皆さんの支援が必要だ。
C.W.nicol
(訳・森洋子)
2018年3月 毎日新聞掲載