東京の“大雪”でぎゅうぎゅう詰め
1月23日の午後、上京した。東京駅では、タクシー乗り場に長蛇の列ができていたため、地下鉄を利用した。まだ夕方の4時ごろだというのに車内はぎゅうぎゅう詰めで、降りる際にはラグビーのスクラムよろしく力業で体を押し出した。テレビではアナウンサーたちが興奮した声で傘に積もった“大雪”について語り、歩道の雪に指を突っ込んで大騒ぎ。路上では乗用車やトラック、バスが至るところでスリップし、衝突している。冬季オリンピックを開催した国の首都が、20センチ程度の雪で大混乱に陥るとは!
今は北長野の黒姫に戻ってこの原稿を書いている。外では細かい雪が絶え間なく降り続き、もう1メートルは積もっただろうか。自宅周辺の道路は狭い田舎道だが、どこも普通に歩けるし、車も問題なく通行している。雪になると、夜遅くでも除雪車や除雪機がすぐに出動してくれるので、ほとんど不便はない。もちろん、私たち地元民はたいてい四輪駆動車に乗り、スノータイヤを履いている。
私がこの地に住みついた1980~81年の冬は、たいへんな豪雪だった。最初に借りた大きなわらぶき屋根の古い農家は、被写体としては趣きがあるものの、昔ながらの「ぼっとん便所」は身も凍る寒さ。その冬は12回も雪下ろしをしなければならなかった。一日がかりで屋根の雪を下ろし、ひさしの雪を落とすのにまた一日。玄関や勝手口の前、駐車場、道路に出る小道は、毎日のように雪かきをした。当時はよく、こんなジョークを言ったものだ――「物書き」をしたいのに、「雪かき」に時間をとられていると。
そこで、83年に自宅を建てる際は、金属製の屋根に45度の傾斜をつけて、積雪が自重で滑り落ちるようにした。また、コンクリートの土台部分には2・5メートルの高さを持たせた。内部は地下室兼ワインセラーだ。おかげで、屋根の雪が落ちても居間とダイニングの大きな窓がふさがれることはない。当時、屋根の急勾配を見た近所の人たちは、雪下ろしの際に転げ落ちないよう滑り止めの金属片を取りつけたほうがいいと心配した。雪はひとりでに落ちるので、地元のウインタースポーツ「雪下ろし」はもうやらないと説明すると、「おまえは『ずくなし』(怠け者)だ」と言われた。
かつてはクロスカントリースキーを大いに楽しんだものだが、それも昔のこと。ただ、今でも時折、かんじきを履いて森を散策している。目下の最大の不便は、テレビのアンテナが雪に覆われてニュースもお気に入りの番組も見られないこと。だから、東京の“大雪”の話を聞いても、この目であの混乱ぶりを見ていなければ、まさか……と笑っていただろう。
C.W.Nicol
(訳・森洋子)
2018年2月 毎日新聞掲載