Country Gentleman
挑発のVサイン、特権の鹿肉=C.W.ニコル

C.W.ニコル 森からの手紙

挑発のVサイン、特権の鹿肉

 日本の若者が指でVサインを作り、「ピース」といって写真に納まる姿を目にすると、心中穏やかではない。Vサインを裏返して相手に手の甲を向けるしぐさは、英国人にとってこの上ない侮辱の印だからだ。それが現在のような形で使われるきっかけを作ったのは、英元首相のウィンストン・チャーチルだという。葉巻愛好家の彼は、相手にむかっ腹を立てると、太い葉巻をはさんだまま2本の指をふりかざすクセがあった。それをいさめられると、この老練な政治家は手をくるっと回して「Victory(勝利)のVだ」と切り返した――ということらしい。いずれにせよ、Vサインは「平和(ピース)」とは無縁なのだ!

 古く封建時代から、Vサインは相手への侮辱、挑発だった。1000年以上もの間、野生動物を狩り、その肉を食べることは王侯貴族の特権であり、庶民が弓矢で鹿を射ればつるし首、もしくは二度と弓を引けないように人さし指と中指を切り落とされた。転じて、強力な大弓の射手が敵に向かって2本指をかざせば、「見ろ、いつでも弓を引けるぞ、おまえの息の根を止めてやる!」という挑発となった。

 私が子どものころ、英国で庶民が鹿肉を口にするのは本当に特別なことだった。今では、メニューに鹿肉料理を載せるレストランも多く、大型スーパーでは鹿肉ソーセージも売っている。時代は変わりつつあるようだ。

 北長野のわが家では、赤身肉と言えば、ほとんどが鹿肉だ。低コレステロールでミネラル豊富、仕留めた直後に正しく処理すれば臭みは全くない。たしかに独特のクセもあるが、私など鹿肉好きが高じて、その扱い方や料理法を紹介する本まで出した。

 日本では今、北海道から屋久島まで、畑や果樹園、絶滅危惧植物までが鹿に食い荒らされ、深刻な被害をもたらしている。正確なデータをとるのは難しいが、年間約40万頭の鹿が殺され、その95%以上が埋却・焼却処分されているという。私に言わせれば、これは犯罪、恐るべきムダだ。鹿の成獣1頭で優に100人分の料理を作ることができる。大型のエゾジカならば200人分だ。私の知るかぎり、鹿を捨てるのは世界中で日本だけ。欧米の友人にこの話をすると、皆、あぜんとする。

 日本では鹿を仕留めたハンターに報奨金まで支払いながら、死骸は廃棄しろと言うばかり。阿部守一・長野県知事はその改善に取り組んでおられるが、事は容易ではない。私もこの30年、老若男女に鹿肉料理をふるまってきた。特に鹿肉ソーセージは絶品だ。鹿肉に舌鼓を打ちながら、私はいつもひそかに自画自賛している。「いいぞ、ニック、おまえはまさしくカントリージェントルマンだ!」。ウェールズ人の祖父も大いに気に入ってくれたに違いない。

C.W.Nicol

(訳・森洋子)

2017年7月 毎日新聞掲載

カテゴリー
月別アーカイブ
サイト内検索
タグ