Country Gentleman
私を助けてくれた礼儀作法=C.W.ニコル

C.W.ニコル 森からの手紙

私を助けてくれた礼儀作法

 日本の女性に「紳士とは?」と尋ねると、大概、「強くて、礼儀正しく、正義感あふれる男性」という答えが返ってくる。「背が高くて、堂々として、ハンサム」なら、なおいいらしい。

 かくいう私も「紳士たること」を人生の目標の一つとして生きてきたが、そう簡単なことではなかった。私は1940年、第二次世界大戦開戦の翌年にウェールズで生まれた。出征した実父との再会はかなわず、父を手本とすることはできなかった。代わって、私の人生に絶大な影響を与えたのは母方の祖父だ。第一次世界大戦で志願兵として戦ったという祖父は、私に自らの人生哲学を教えこんだ。

 祖父は12歳で炭鉱に働きに出た。読書家で言葉遣いも上品だったが、大学はおろか高校も出ていない。オペラ好きで、独学でイタリア語を学んだ。ウェールズ語に英語、それにフランス語も少々。そんな祖父を周りの人は「たたき上げの紳士」と評した。まだ幼い頃から、祖父は私に「早く一人前になれ、強くやさしい男(ジェントルマン)になって母さんを守ってやれ」と、くり返した。

 当時、南ウェールズではドイツ軍による空爆が激しく、母は私を連れてイングランド東部のサフォークへと移り住んだ。私が10歳の時に母が再婚するまで、2人きりの暮らしが続いた。母のしつけは厳しく、貴族の子弟の「養育係(ナニー)」という職業柄、行儀作法にもうるさかった。例えば、登校の際は、きちんと玄関から出て、門のところで足を止め、見送る母に「お母さん、行ってまいります」と、帽子を取ってあいさつする。近所の子どもは誰もそんなことはしていなかった。

 私が「父さん」と慕った継父は英国海軍の軍人で、我が人生最大のヒーローの一人だ。62年、長期の北極遠征を終えた私は、「日本で武道の修行をしたい」と、家に手紙を書いた。珍しく父から届いた返事には、「日本人はとても礼儀正しいから、行儀に気をつけろ」と書いてあった。柔道や空手の道場だけが日本の礼儀作法の手本だとは言わないが、師範や先輩に礼を尽くし、厳しい規則に従う――。これは間違いなく、身を守る上で最も重要な心得の一つだ。

 27歳の時、私はエチオピアの高地で国立公園の建設に携わった。山岳民族のアムハラ族と対峙(たいじ)する際、英国と日本で身に着けた礼儀正しさが役立った。誇り高く勇猛な彼らも、武装した白人の若者が村の長老や女性に帽子を取ってあいさつし、部下たちと食料を分かち合うことに感銘を受けたという。ある時、英語の心得があるエチオピア人の助手が、「アムハラ族はあなたを『紳士』と認めている」と教えてくれた。当時をふり返るたび思うのだ。そのおかげで撃たれずに済んだこともあったのではないかと。

C.W.ニコル(エチオピア)公園レンジャーと

C.W.Nicol

(訳・森洋子)

2017年4月 毎日新聞掲載

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