【ウェールズ便り】カーディフの桜をみながら

事務局日記

 お久しぶりです。本年6月に予定されているニコルさんと全日空社の環境ツアーのプログラム作成に携わっておりました。

 お休みしている間に連載された(か)さんのウエールズ訪問記、楽しみに読ませていただきました。2月の下見ツアーには主人と私も同行していたわけですが、訪問先やホテルやカフェで折に触れて鉛筆を舐めなめ、時に天を仰ぎながら日記をつけていた(か)さん。ご自分の目で英国を観察しておられて、毎回次の記事が楽しみでした。

 

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アレキサンドラ戦争記念公園からみた桜。

 

 

 

 

 

 

 さて、カーディフの桜も満開となり、ウエールズ観光の幕が切られました。いたるところで桜、梅、椿、クロッカス、遅咲きのらっぱ水仙にチューリップと、まさに春つげの花々が妍を競っています。とはいえ三寒四温や花冷えの言葉通り、青天の合間には小雪もちらつく日もあり、重いコートがなかなか片付けられません。ウエールズの首都カーディフは、周辺人口併せて約40万人、1955年に首都として指名された若い都市です。市内中心地は商業地区と行政地区に分かれていますが、行政地区のモダンな建物の美しさは英国内でも定評があります。カーディフはコンパクトにまとまった、歩き易くて移動しやすい街です。カーディフ城は市内の中心・商業地区の真っ只中にあります。このお城は1947年以来カーディフ市に所属し、現在はウエールズの史跡保存協会・CADWが管理しています。最後のご城主はスコットランドの貴族ビュート伯爵家でした。ビュート家はもとはスコットランド西海岸地方の小規模で平凡な一貴族でした。ところが、1766年・日本では徳川九代将軍家重時代(平賀源内が活躍した頃)当時の御曹司が、CADWの資料の表現をそのまま借りますと「お金はあるけれどもとてつもなく器量の悪い大富豪の跡取り孫娘」と結婚したことから、婚礼の一夜を境いにあっという間に大富豪の大貴族になってしまいました。以後も数世代の婚姻により妻側の莫大な領地を次々と相続してドラマティックに家運をあげていきます。

 

                 カーディフ城の時計台 

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 ビュート家の幸運は、お金持ちの娘さんをお嫁さんに貰ったことではなく、相続した領地に南ウエールズの山々があったことです。時は産業革命の真っ只中、エネルギーに石炭以外の選択肢の無かった時代の当時は世界中の石炭需要率は現在の石油以上、良質な石炭が豊富に眠っていた南ウエールズの山はまさに宝の山でした。石炭は文字通り黒いダイヤモンドとしてビュート家はお金持ち街道まっしぐら、やがて頂点を極めて100年も経たないうちに名実共に世界一の石炭王となりました。カーディフ城はこのビュート家の石炭による富の産物です。改修には、純粋なカトリック信者だった第三世伯爵(幕末から明治中後期までの人)と、天才設計士のウイリアム・バージェスの渾身の共同プロジェクトとして、まず発掘調査から始まり、約20年の時間がかけられています。改修にあたっては内外の一流の職人をふんだんに雇い、聖書や欧州伝説、英国史、オリエント願望などをテーマにした城内のインテリアは、二人の独特な審美眼によるネオゴシック装飾のデザインが施されて、ため息が出るほどの職人技がもうあたり一杯これでもかというほどに展開されています。それはそれは賢くて繊細なデザインに溢れています。外壁のアニマルウオールはそのごく一部です。インテリアの凝った職人芸と対比させて敢えてシンプルに仕上げてありますが、石の動物達には今にも動きそうな気配が漂い、匠の価値も高い芸術作品です。城を代表するキャラクターとしても圧倒的な人気があります。(続)

 

           アニマルウオール約15体のうちの代表達 

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文と写真 ルイスサール奈都世(CELT21 UK)

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