【ウェールズ便り】お城とビュート侯爵 4
事務局日記石炭、せきたん、セキタン。尽きることなく掘られて、尽きることなく積み出されて小切手が飛び交うという時代に涌いたカーディフ市とビュート家の富。やがてこの勢いにも翳りが見える事を私達は知っています。石器時代が終わったのは石が尽きたわけではないように、石炭時代が終わったのは石炭が尽きたのではなく、世界的な需要が無くなったからです。石炭首都と呼ばれもてはやされたカーディフの勢いは、事実上1914年を以って終わります。この年は、戦争のあり方が近代化されたと言われる「第一次世界大戦」勃発の年です。時代は石炭から石油へと替わり、ビュート家の富も徐々に衰退します。2つの城の改修に莫大な費用が掛ったことにも原因あり、と聞きました。
(ウエールズの象徴は赤いドラゴンです。イングランド国境の橋を渡ったそのときから、赤いドラゴンがそこら中に出現します。繁華街を20m歩いた間に、これだけ見つかりました。)
(左)国旗
(右)ローカル新聞社のシンボル
(左)マグカップ
(右)ケーキの型抜き
地ビールのシンボル
ニコルさんのお気に入り銘柄「ブレインズ」です。
ビュート家の4世と5世は、不況や第二次大戦を経て、1947年、ついにお城とそれを取り巻く広大な敷地をカーディフ市に丸ごと寄付されて、これにより、カーディフとのご縁はぱたりと尽きてしまいました。お城に続いた庭跡が、現在の行政地区です。ご寄付に当たってはビュート家のご希望で、この敷地内の建造物は美観景観保護のために白亜のポートランド石を使用する約束が取り交わされました。現在の市民ホール、裁判所、博物館、大学、警察本部などがその建物です。
タフ川と駅裏からみた、ミラニアムスタジアム。
7万6千人収容の全天候型競技場で、天井が開閉します。
ラグビーなどの人気試合終了後、ゲートから観客が一斉に外にでて歩行者天国に向かう姿は、ゲルマン民族の大移動という言葉が思出だされるほどです。
行政地区にある裁判所もポートランド石で出来ています。
市民ホール ここにも赤いドラゴンがいました。
ビュート家は、もともとスコットランドの貴族、彼の地の西海岸にあるビュート島の美しいお城が本拠地で、カーディフ城は複数のお屋敷のうちの一つに過ぎず(!!)、3世当時は子供さん方がウエールズ語の習得のために夏休みに2.3週間、キャステルコッホ城はきつね狩りに年数回の訪問程度だったようです。ビュート家の現在のご当主は第7世、若かりし頃にはカーレーサーとして随分と華やかな方だったようですが、このビュート家7世のご家族が、華々しくカーディフ入りされることもありません。
ビュート3世候を、単に「道楽の人」と呼ぶ人もあります。3世候は、
1.文献を調べ現場調査をしてデザインを構築していくという、いわば、プロジェクトの過程とプロセスには没頭したものの、完成には関心が無く、事業の後半には興味と情熱を失う傾向があった
2.石炭万能の当時の、自身の現在の財力だけしか考えていなかった
3.つまり、先行きの経済や将来を見越した「継続可能な持続性」や危機感や予見能力に欠けていた
とも云われています。お金持ちへのヤッカミもあるかもしれません。
私は時々、遠来のお客を案内して或いは撮影のために二つのお城を訪ねますが、城内の精緻で絢爛豪華な装飾にはいつ訪れても圧倒されます。過去の文化資産の恩恵と言うべき、先人の残してくれた美しい物に触れられる喜びは、たとえ様がありません。それでもふと、ウエールズのアファンの山の同じ時代の庶民の姿「煤にまみれて危険と隣りあわせで石炭を掘る男達」や「石炭を黙々と地上に運ぶ目の見えない荷役用のポニー」あるいは、「ぼろをまとったカーディフ湾の港湾労働者達」などの記録写真が心に浮かび、「庶民の汗の上に成り立った巨万の富」への複雑な気分が涌いては消え、消えては涌きします。
さて、皆さんはどのようにお感じになることでしょう。
(続く)
写真と文 ルイスサール奈都世 CELT21 UK