「雑食動物」としての人間
人類は「雑食動物」として進化した。植物の根や果実、種子から貝、魚、鳥、動物まで、幅広く食べてきた。
最も貴重かつ危険な獲物を捕らえるには皆が状況をしっかり理解し、緊密な連携を図る必要がある。「鯨一頭、七浦潤す」といわれる通り、セミクジラ1頭で7カ村が生き延びられる一方、漁に出たクジラ捕りが全員命を落とすこともあった。灼熱(しゃくねつ)のサハラ砂漠でも、雪と氷に閉ざされた北極でも、人々は狩猟の伝統を受け継いできた。
宗教には独自のルールや禁忌があり、それぞれの作法に従って動物を食肉に加工してきた。イスラム教徒、ユダヤ教徒、エチオピアのコプト派キリスト教徒は豚肉を口にしないが、ブタの生育環境や健康上の理由に基づくのではないかと個人的には考えている。
私は狩猟民と多くの時間を共にしてきた。彼らが深い知識によって暮らしの質を高めている姿には心底、感銘を受けた。ルールや儀式にのっとって獲物を扱う。腕のいい猟師は獲物を一瞬で仕留める。シカやイノシシは最期の瞬間まで生を謳歌(おうか)し、食料として大切に扱われる。
北長野の黒姫の我が家では、シカやイノシシ、時にはクマの肉も食卓に上る。日本で環境保護をうたう者として、このことに矛盾は感じない。
中国の市場で希少な外来の野生動物が食用あるいはペットとして売られているのは、見るに堪えない光景だ。無造作に積み上げられたおりの中に、貴重な生き物がいる。汚いまな板の上で切り刻まれていく様子には、そこに関わる人々への敬意など消えうせてしまう。
自然は、私たち人間が地球を傷つけ、共に生きる他の生命を虐げていることに多くの警告を発している。新型コロナウイルスは、今後、我々を襲うであろう災厄の先駆けにすぎない。
思いを同じくする人々は世界中にいる。中国や他のアジア諸国の人も少なくないはずだ。本来、野生動物の肉は味もよく、栄養価も高い。敬意を払い、適切かつ衛生的に処理すれば、高価値で持続可能な食材となる。
日本は今、シカやイノシシなど、増えすぎた野生動物によって深刻な問題に直面している。駆除したうち約95%がただ廃棄されている。恥ずべきことだ。
近年、駆除した野生動物を処理する施設が増え、設備も良くなった。猟師が獲物を持ち込むと、データを収集後、衛生的に安全な食肉へと加工する。計量され、部位ごとに選別されたパック詰めの肉は誰でも楽に扱える。販売されるのは、臭みも全くない最高品質のものだ。
黒姫の我が家では、鹿肉を注文すれば、たいてい翌日には届く。なんと便利! なんたる美味!
C.W.Nicol
(訳・森洋子)
2020年4月 毎日新聞掲載
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