石炭が王様
年に1度、冬の日に同じ映画を見ている。古典的名作「わが谷は緑なりき」。19世紀末の英国ウェールズ地方の炭鉱町を舞台にした作品だ。ソファにもたれて画面を見ながら、左に目をやると、小さな写真立てに納まった祖父ジョージ・ライスの姿がある。
作業着姿の祖父は布製の帽子をかぶり、首にネッカチーフ。三つぞろいのズボンは膝の辺りをひもで縛ってある。ネズミが裾から潜り込んで脚を駆け上るのを防ぐ。祖父は12歳の1898年から、1914年に第一次世界大戦が勃発し軍隊に志願するまで、南ウェールズのロンダ渓谷で炭鉱労働者として働いた。
石炭は19世紀から20世紀初頭にかけ、大英帝国の勢力拡大の原動力となった。私が生まれた40年ごろもまだ、英国では石炭が燃料の中心。生活のあらゆる場面に石炭があった。ことに南ウェールズは生き方や価値観の根っこに石炭があり、仲間意識、歌、ラグビー、炭坑事故など、人生の至るところに関わっていた。
英国の石炭時代が終わりを迎えたのは、スモッグ(煙と霧の組み合わせによる大気汚染)がもたらした健康被害と医療費増大が原因。第二次世界大戦後、中東や北海などから石油が容易に調達できるようになったのも影響した。
黒姫の自宅で、この40年を振り返る。初めて移り住んだ頃、2月には家の周りの積雪が1㍍に達した。今も時折、湿ったドカ雪が降ることはあるが、年が明けてしばらくたつ頃にはうっすら雪が残る程度。冷たい雨から雪になることが多いせいで積もらない。
気候変動は紛れもない現実だ。ニコル一族は全世界に散らばり、カナダやオーストラリアをはじめ多くの地域に家族や親戚がいる。長期にわたり猛威を振るうオーストラリアの森林火災は、自然破壊、野生生物の被った苦痛を思うと、胸が張り裂けそうだ。
信じがたいことに、オーストラリアの友人の中には、教養も知識も備えながら、地球温暖化と石炭の因果関係を否定する者がいる。オーストラリアは石炭の主要産出国にして輸出国で、2大輸入国のインドと中国の国民は大気汚染に苦しめられている。それでも政府は使用をやめず、燃焼量の増加を計画している。
日本はといえば、石炭高度燃焼技術の普及拡大の推進役だ。こうした地球環境問題については毎日新聞がきちんと取り上げているので、私が今さら説明する必要もあるまい。石炭は確かに大きな進歩をもたらしたが、急激に膨らんだエネルギーと富に対する貪欲さが人類と環境に負わせた代償を思えば、功罪どちらが大きかっただろうか。先行きはさらに不安な状況だ。
居心地のいい家の中でモノクロ画面を眺めてノスタルジーに浸り、傍らでネコが気持ち良さそうに寝る。今はこのひとときをあるがままに楽しむとしよう。
C.W.Nicol
(訳・森洋子)
2020年2月 毎日新聞掲載
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
生物多様性の豊かな自然を日本中に広げたいと願った、ニコルの想いをカタチにするため「C.W.ニコル自然再生基金」を開設しました。
C.W.ニコル メモリアル 自然再生基金にご賛同お願いいたします。