言の葉・木の葉
木の葉が枝を離れ、はらはら舞い落ちる。これほど美しく、切なくなる光景もない。秋になると、自宅や書斎のどの窓からも舞を見られる。
次から次へと幾千もの葉が舞い、身を翻すが、どれ一つとして同じ動きはない。やがて森や草原の土の上にふわりと落ちる。都会なら歩道や店の前、駐車場に吹き寄せられた落ち葉は厄介物扱いされがちだが、ここ黒姫では違う。
玄関前の階段や窓枠だけは掃除をするが、大部分はあるべき場所に落ちつく。地面に身を横たえた落ち葉は、大地を包む温かな覆いとなり、冬になれば雪に埋もれるのだ。
落ち葉の季節は大好きだが、つい窓の外に気を取られて筆が進まない。木の葉が言葉であったなら、それらを集めて見事なモザイクを作り出すこともできるだろうに。
19歳で初めて小説を書き、60年後の今、恐らく人生最後となる大切な作品を半ばまで書いた。家を離れていた2カ月間に書きためたノートが8冊。鉛筆の走り書きを読めるようにタイプしなくては。
日本へ来た当初、柔道や空手、日本語の勉強の傍ら、タイプ学校に入った。クラスは女性ばかり。卒業まで頑張ればタイプは上達しただろう。以後はエルメスの小型タイプライターが、寝袋やライフル、鍋とともに旅に欠かせない相棒となった。
時は流れ、編集者たちはコンピューターを使えと言い出した。しょっちゅう変わってばかりで、電気なしでは役立たずの代物だ。やむなく書斎では使っているが、旅先に携行することは頑として拒んでいる。スマートフォンの画面に見入ったまま街をさまよう人々に、落ち葉の舞を眺めるゆとりはあるだろうか。
執筆がはかどらないのは落ち葉のせいばかりではない。帰宅した翌朝、玄関先にシカの後ろ脚、前脚、あばら骨が置いてあった。放ってはおけない。調理台を片づけると、包丁を取り出し、大鍋を用意して、骨から肉をそいでは一口大に切り分け、10切れずつ保存袋に入れる。
作業に5時間を費やした。優に120人前、我が家が一冬越せる量がある。若い雄で心臓を射抜かれ、血抜きも十分と、最上級のシカ肉。文句のあろうはずもないが、その日は全く書けなかった。
翌日、ウェールズの野草ハチミツを入れた紅茶を飲みながら、ノートを抱えて書斎に向かおうと意を決したところへ、アファンの若き女性調教師が馬についての相談と報告にやって来た。しかも、私が30年以上も前に植えたクリの実を香辛料とハチミツで煮たという手土産持参。紅茶をおかわりせずにいられようか。
田舎暮らしをしていると、毎度のごとく先にやるべき用事が持ち上がる。雪が降り、冬が深まる時期はなおのこと。ここで本を書くなら、邪魔が入ると覚悟した方が良さそうだ。
C.W.Nicol
(訳・森洋子)
2020年1月 毎日新聞掲載
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