Country Gentleman
失われた言葉=C・W・ニコル

C.W.ニコル 森からの手紙

失われた言葉

 数年前、ウェールズの友人が「ロスト・ワーズ(失われた言葉)」という本をくれた。著者は英国のナチュラリストで詩人のロバート・マクファーレン、美しい挿画は絵本作家の顔も持つジャッキー・モリス。出版当時、英国では大変な評判を呼び、全ての小学校に1冊はこの本を置くキャンペーンが展開された。

 私自身も深い共感を覚えた。「失われた言葉」とは何なのか。恐竜の名前のように、その存在自体が絶滅したことで廃れた言葉の話ではない。世界の多くの地域に今も生息している動植物や鳥の名前、自然に関する言葉の数々が失われている。acorn、dandelion、kingfisher、heron、otter、conker。もはや英国の子どもの多くは、そうした生物の存在も名前も意識や記憶にとどめず大人になっていく。ちなみにconkerは子どもが使う言葉で、horse chestnutと呼ぶ方が一般的だ。

 それらは今も私たちの身近にあり、日本名もある。ドングリ、タンポポ、カワセミ、サギ、カワウソ、トチの実。

 日本は国土の7割が森林だ。その約4割はスギ、カラマツ、ヒノキなど針葉樹の単一種の植林で、現存する原生林は2%ほど。とはいえ北海道から西表島まで、深い谷あれば高くそびえる山もあり、自然は多種多彩。樹木の在来種も多い。縄文時代以降、日本に存在した在来種は専門家によって意見が分かれるものの1300~1600種といわれる。全てに名前がある。

 サンショウのような低木も含めれば、ここ北長野のアファンの森にも140種を超える在来種が生息している。

 ところが、森や自然に関心を持ち、わざわざ私の話を聞きにくるような若者でさえ、木の名前をろくに知らない。私が語ろうとする話を理解するのに必要な語彙(ごい)を持ち合わせていない。

 自然は幻想でなく、現実の世界に息づく。しかし、少年時代の私が慣れ親しんだ自然は急速に消えつつある。有史以来、かつてない速さで。その流れを止められないまでも遅らせるために、名前という「魔法の言葉」が必要だ。

 年を重ね、頑固さに磨きのかかった私は、樹木の名前もろくに言えない学生に出会うと、つい邪険にしたくなる。もちろん、彼らを無知と決めつけ拒むのは間違いだが、1962年に22歳で初めて日本に来た時から、私はこの国に溶け込もうと、自然を表す言葉や生物の名前を懸命に学んできた。日本語をまともに話せなかったあの頃より、今の方がよほど自分を異分子だと感じる。私が何を言っても若者にはぼんやり日本語と分かる程度。ある言葉を聞いて脳裏に具体的なイメージが浮かぶことも、文化や歴史を理解することもない。彼らに言葉の魔法は通じないのだ。

 36年前、現在はホースロッジがある区画にトチノキの苗木を植えた。種から育てた苗木だ。今では立派に成長し、毎年、芳しい白い花をつける。花から取れるハチミツも絶品。夏には大きな緑の葉が木陰を作り、秋にはつややかな丸いトチの実がなる。このまま何事もなければ、トチノキは私が世を去った後も200年は成長を続けるだろう。

 西欧の文献は「トチの実は食べられない」と断じているが、東北地方などで作られるトチ餅は私の好物。あく抜きに手間がかかるが、ドングリとともに縄文時代から続く冬の主食。いつまた食糧難の時代が来るとも限らない、先人の知恵を忘れてはなるまい。

 ホースロッジへ客人を案内したらトチノキの自慢話をするが反応は薄い。タイムマシンで幼い頃の自分を連れて来て、黒姫山を背に立つ美しいトチノキは私、いや私たちが植えたと教えたら、やせっぽちの少年はトチの実が降る様子に「わあ!」と声を上げるだろうか。

C.W.Nicol

(訳・森洋子)

2019年10月 毎日新聞掲載

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