イヌとともに暮らす喜び
英国で過ごした少年時代、いつも身近にイヌがいた。ほとんどは働くために飼われていたイヌだ。私は幼いうちに、イヌには敬意をもって接することを覚えた。大人になり、北極遠征へ行くようになると、イヌイットのソリを引くイヌたちと出合った。エチオピアの山岳国立公園で公園長をしていた時は、ジャーマンシェパードが相棒だった。パトロールには必ず同行し、山賊や密猟者にはひるむことなく立ち向かってくれた。
1980年、世界各地を旅した末、この北長野に腰を落ち着けようと決心した私は、無性にイヌが飼いたくなった。田舎暮らしを共にする仲間が欲しかったのだ。アイリッシュセッターのオスを選んで、モーガスと名づけた。セッターというのは概して人懐っこい犬種だ。それに遊び好きで愛情豊か、好奇心も並はずれている。狩猟免許を持っていた頃は、この相棒を連れてカモやキジを撃ちに出かけたものだが、モーガスは毎回、大喜び。それに、野尻湖で泳ぐのも好きだった。セッターは、レトリーバー同様、水鳥猟のために訓練されたイヌで泳ぎもうまい。
その2年後、英国からモーガスの嫁さんを連れてきた。同じアイリッシュセッターで名前はメガン。可愛い子犬にも恵まれた。時を経て、連れ合いに先立たれたモーガスは、ある猛吹雪の日、私が隣人を訪ねている間にしきりと外へ出たがり、それきり戻らなかった。いくら捜しても、その痕跡を見つけることはできなかった。当時、モーガスは16歳で、だいぶ弱っていた。「彼は死に場所を探しに行ったのだ」と、獣医は言った。今でもモーガスとメガンが懐かしい。彼らは、私たちの暮らしにどれほどの喜びをもたらしてくれたことだろう。
83年にこの家を建ててからは、訪れる客人にも泊まってもらえるようになった。一番の常連はジム夫妻だ。彼はアメリカ人で奥さんは日本人――偶然にも、妻の最も古くからの友人だった。2人とも、ここの名高いホワイトクリスマスがすっかり気に入った。
そして、家から歩いて30分ほどのところに土地を買い、森の中に家を建てたのだ(ちなみに、ジム夫妻にも2人の娘さんがいる)。わが家同様、そこは「別荘」ではなく、生活するための家だ。
米国国務省で働いていたジムは、海外で非常に危険な任務についたのをきっかけにジャーマンシェパードを飼い始めた。番犬であり、よき相棒だ。政府の職を退いた彼は、こちらの家に落ち着くと、米国からもう一匹、ジャーマンシェパードを輸入することにした。古株のイヌが死んでしまうと、後から来たイヌ、ベアがジムの新たな相棒となり、親友になった。
ベアは体重40キロもある大きなイヌだったが、穏やかな性格で地元の人たちやアファンのスタッフ、2頭の馬たちともすぐ仲良くなった。彼らの姿は、いつしか私たちの暮らしの一部になっていた。
悲しいことに、ベアは脳腫瘍を発症した。腫瘍は急速に大きくなり、手術は不可能だった。2018年のクリスマスイブ、視力を失い、後ろ脚の自由がきかなくなったベアは、動物病院の前に止めたジムの車の後部座席で安楽死による安らかな眠りについた。
誰もが深い悲しみに打たれ、私は親しい友人としてジムの心の内を思い、心配した。半年から1年、ゆっくり時間をかけて気持ちを静めるつもりだ――大みそか、酒を飲みながら、ジムは言った。そして落ち着いたら、またジャーマンシェパードを飼おうと思っていると。それを聞いてうれしくなった。そうとも、イヌは田舎暮らしを豊かにしてくれる最高の友なのだから。
C.W.Nicol
(訳・森洋子)
2019年2月 毎日新聞掲載
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