サクラが繋ぐニコルの想い

事務局日記

ニコルが所有していた土地にホースロッジが完成してから、毎年地域の方々をお誘いしてシダレザクラとともに春の訪れを分かち合う時間をニコルはとても大切にしていました。このシダレザクラ、実は由緒正しい遺伝子の持ち主なのです。

ニコル家のほど近くにある大原社の境内に、信濃町を代表する古木、樹齢280年とも言われているシダレザクラが祀られています。なんでも江戸時代に、この地に庵をむすんだ旅僧閑貞坊が手植えをしたものと伝えられ「閑貞ザクラ」と地域の人々に親しまれていました。もちろんニコルもこの樹に魅了された一人。

大原社の閑貞ザクラの子孫達が綺麗に花を咲かせている。

アファンの森を作り始めてしばらく経った1990年頃、閑貞ザクラが元気を無くしていきました。その姿にニコルは心を痛めなんとか助けられないか、関係機関に相談を持ちかけましたが、当時は、まだ樹木医の制度もなく樹を治療するということが一般的ことではありませんでした。

「だったらオレが助ける」ニコルは、日本で初めて樹の治療を始めた樹医:山野忠彦さん(1900-1998)の後継者である山本光二さんを自ら探し出し、治療費も自費で負担し、大阪らから治療にあたっていただいたのです。
 懸命な治療が続きましたが、老木故にかつてのような樹勢を回復することは難しく、万が一のことを考え今からこの貴重な遺伝子を残していこうと、いくつか接木をし、ニコルもその子孫の一部を引き取り、現在のホースロッジに植え、遺伝子を受け継ぐ一箇所となりました。

閑貞ザクラは、その後、信濃町教育委員会により長野県の樹木医に治療が引き継がれ、熱心な治療が施されていきました。
残念ながら2011年5月に枯死と診断されましたが、大原社の境内には、母樹の根から次の世代が成長し、また接木をした子孫が、何本もその周辺で成長し綺麗な花を咲かせています。

現在の大原社の閑貞ザクラ  もう根元の幹の一部しか残っていない。 根元から一本次世代が成長している。

閑貞ザクラの280年もの歴史には、酷暑や極寒、台風や豪雪に耐え、飢饉や感染症など人々の苦難とも寄り添いながら、生き抜いてきた時が刻まれています。ニコルは、そのことに深く畏敬の念を抱き、次の300年も人々の成長を見つめながら初代の閑貞ザクラを凌ぐ見事な大木になって欲しいという願いと、大木の下で人々が幸せに暮らしている未来を私たちに託していると感じています。

一本のサクラに敬意を払い「有言実行」のC.W.ニコルに感服するばかりです。ありがとう、ニックさん。

そんな想いを込めて、来年は歴史に刻む楽しいお花見ができますように!
私たち一人ひとりの「有言、不言実行」が、試されているように思います。
引き続き、頑張りましょう!

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生物多様性の豊かな自然を日本中に広げたいと願った、ニコルの想いをカタチにするため「C.W.ニコル自然再生基金」を開設しました。

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